最高裁判所第一小法廷 平成7年(行ツ)116号 判決 1999年1月21日
上告人
甲野花子
同
乙野太郎
同
甲野一郎
右法定代理人親権者
甲野花子
右三名訴訟代理人弁護士
榊原富士子
林陽子
福島瑞穂
被上告人
武蔵野市長
土屋正忠
同
武蔵野市
右代表者市長
土屋正忠
右両名訴訟代理人弁護士
中村護
中川幹郎
関戸勉
永縄恭子
右両名指定代理人
渡辺文雄
外一名
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人榊原富士子、同林陽子、同福島瑞穂の上告理由第一及び第四について
上告人甲野花子及び同乙野太郎の被上告人武蔵野市長に対する訴えは、いずれも同被上告人が上告人甲野一郎の住民票に世帯主である上告人甲野花子との続柄を記載する行為が抗告訴訟の対象となる行政処分に当たることを前提として、その取消し及び義務付けを求めるものである。
しかしながら、市町村長が住民基本台帳法七条に基づき住民票に同条各号に掲げる事項を記載する行為は、元来、公の権威をもって住民の居住関係に関するこれらの事項を証明し、それに公の証拠力を与えるいわゆる公証行為であり、それ自体によって新たに国民の権利義務を形成し、又はその範囲を確定する法的効果を有するものではない。もっとも、同法一五条一項は、選挙人名簿の登録は住民基本台帳に記載されている者で選挙権を有するものについて行うと規定し、公職選挙法二一条一項も、右登録は住民票が作成された日から引き続き三箇月以上当該市町村の住民基本台帳に記録されている者について行うと規定しており、これらの規定によれば、住民票に特定の住民の氏名等を記載する行為は、その者が当該市町村の選挙人名簿に登録されるか否かを決定付けるものであって、その者は選挙人名簿に登録されない限り原則として投票をすることができない(同法四二条一項)のであるから、これに法的効果が与えられているということができる。しかし、住民票に特定の住民と世帯主との続柄がどのように記載されるかは、その者が選挙人名簿に登録されるか否かには何らの影響も及ぼさないことが明らかであり、住民票に右続柄を記載する行為が何らかの法的効果を有すると解すべき根拠はない。したがって、住民票に世帯主との続柄を記載する行為は、抗告訴訟の対象となる行政処分には当たらないものというべきである。
そうすると、上告人甲野花子及び同乙野太郎の被上告人武蔵野市長に対する訴えは、いずれも住民票への続柄の記載という抗告訴訟の対象とならない行為を対象とするものであり、不適法であって、却下を免れないものというほかはない。これと結論において同旨の原審の判断は、是認するに足り、所論の訴えの利益に関する原審の判断や訴訟指揮の適否いかんにかかわらず、論旨は理由がないことに帰する。
同第二及び第三について
市町村長が住民票に法定の事項を記載する行為は、たとえ記載の内容に当該記載に係る住民等の権利ないし利益を害するところがあったとしても、そのことから直ちに国家賠償法一条一項にいう違法があったとの評価を受けるものではなく、市町村長が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と右行為をしたと認め得るような事情がある場合に限り、右の評価を受けるものと解するのが相当である(最高裁平成元年(オ)第九三〇号、第一〇九三号同五年三月一一日第一小法廷判決・民集四七巻四号二八六三頁参照)。
住民票は、選挙人名簿の作成の基礎資料となるほか、住民に関する記録として様々な手続に広く利用される書類であるから、各市町村が独自の法令解釈に基づいて区々な事務処理をすることは望ましいとはいえず、できる限り統一的に記録が行われるべきものである(住民基本台帳法一条参照)。そのため、国が市町村に対し住民基本台帳に関する事務について必要な指導を行うものとされている(同法三一条一項)ところ、被上告人武蔵野市長が上告人甲野一郎の住民票に世帯主との続柄の記載をした昭和六〇年八月当時、国により住民基本台帳の記載方法等に関して住民基本台帳事務処理要領(以下「事務処理要領」という。)が定められていたのであるから、各市町村長は、その定めが明らかに法令の解釈を誤っているなど特段の事情がない限り、これにより事務処理を行うことを法律上求められていたということができる。そして、原審の適法に確定したところによれば、当時の事務処理要領は、平成六年一二月に改正されるまで、世帯主の嫡出子の続柄は「長男」、「二女」等と、非嫡出子のそれは「子」と、それぞれ記載することと定めており、これに従わない市町村もなかったわけではないが、一般的にはこれに従って続柄の記載がされていたものと認められ、被上告人武蔵野市長も、右の定めに従って本件の続柄の記載をしたというのである。右の定めは、戸籍法が嫡出子と非嫡出子とを区別して戸籍に記載すべきものとしており(同法四九条二項一号、同法施行規則三三条一項、附録六号)、住民票と戸籍とが多くの記載事項を共通とする密接な関係を有するものである(住民基本台帳法一九条、同法施行令一二条二項等参照)ことにかんがみて、住民票においても戸籍と同様に嫡出子と非嫡出子とを区別して続柄の記載をすることとしたものと考えられるのであり、憲法一四条や所論引用の条約等の規定を考慮に入れるとしても、右の定めが明らかに住民基本台帳法の解釈を誤ったものということはできない。
以上によれば、所論指摘の事情を併せ考慮したとしても、被上告人武蔵野市長は、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさず漫然と本件の続柄の記載をしたということはできないものというべきである。したがって、右記載が上告人らの権利ないし利益を害するか否かにかかわりなく、同被上告人の右行為には国家賠償法一条一項にいう違法がないというべきであるから、上告人らの同項に基づく請求は、理由がない。これと結論において同旨の原審の判断は、是認するに足りる。論旨は、独自の見解に立って又は原判決の結論に影響を及ぼさない部分についてその違法を主張するものであって、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大出峻郎 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友)
上告代理人榊原富士子、同林陽子、同福島瑞穂の上告理由
第一 訴えの利益について
1 原判決は、本件続柄処分の取消し請求及び義務づけ請求にかかる部分については、いずれも訴えの利益がなく、不適法であると結論づけた。
そして、その根拠として、弁論終結後の一九九四年一二月に住民基本台帳事務処理要領(以下「事務処理要領」という)の一部改正が行われ(以下「改正通達」という)、一九九五年三月一日から住民票における世帯主との続柄は、婚内子であると認知された婚外子であるとを問わず、いずれも「子」と記載されることに改められ、改製後の本件住民票の上告人一郎の「子」という続柄の記載は、婚内子のそれと全く区別のない記載となっていることをあげた。
そして、一九八五年八月二九日に被上告人武蔵野市長によってなされた上告人一郎についての続柄の記載は、改製により「処分としては消滅」しているから、現時点において取消しを求める対象が存在していないと説明する。
しかし、右には判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認による法令適用の誤り及び法令の解釈の誤りがある。
2 一九八五年八月二九日に被上告人武蔵野市長によってされた上告人一郎についての続柄の記載は、消滅したわけではなく、住民票全体がそのままの記載で現存し、「改製前の住民票」として、一九九五年三月一日から五年間は、武蔵野市役所で保管され(住民基本台帳法施行令三四条)、写しの交付が可能である。改製前住民票については、住民基本台帳法(以下法という)一一条及び一二条の対象にされていないが、事務処理要領第2の3の(2)のエでは除住民票の写しの交付が、住民票に準じて認められており、これと同様に取り扱うものとされている(自治省行政局振興課編著「住民基本台帳法遂条解説」)。
したがって、原判決が訴えの利益なしと判断した前提となる「処分としては消滅」という評価が、まず、明らかに誤っている。
3 今回の通達の改正では、子どもの続柄をすべて「子」と変えたので、上告人一郎の続柄は改正前の住民票においても改正後の住民票においても「子」と記載されているが、改製前の住民票が閲覧され、あるいは続柄を省略しない形で写しが交付されれば、やはり、婚外子であることが明らかとなるのであって、この改製前の住民票の保存期間が終了するまでは訴えの利益がある。
4 この改製前の住民票の写しの交付について、原判決の説明を要約すれば次のとおりである。
「法一二条三項により、市町村長は、特別の請求がない限り、七条四号(続柄を含む)、五号(戸籍の表示)及び九号から一三号までに掲げる事項の全部または一部を省略した写しを交付するこができる上、今回の改正に合わせて改製前の住民票の写しの交付請求があった場合には、プライバシー保護を図る観点から、市町村長の判断により、合理的制限をすることができる旨の運用通達がされている。本件住民票について改製前の続柄の記載をあくまでも要求する写しの交付請求が、本件住民票に記載されていない第三者によってなされる場合において、その請求に合理的必要性があることは極めて特殊なとき以外は考えられない。そうした交付請求は、極めて特殊な場合を除き、非嫡出子であることを不当な目的で知ろうとするものであるといえるから、その目的が正当であることが明らかにされない限り、法一二条四項にいう『請求が不当な目的によることが明らかなとき』に当たるとして、被上告人市長は、これを拒否することができるものと解するのが相当である。したがって、この点から訴えの利益があるとすることも困難である。」
右のような法一二条四項についての解釈は、人権尊重のうえからは好ましいものである。しかし、法一二条四項は、「不当な目的によるとき」ではなく、「不当な目的によることが明らかなとき」とされ、一見して不当な目的であることが明白であるときにのみ拒否できるとされている。そのため、実務では、ゆるやかに申請に応じているのが現状である。申請書それ自体から、「婚外子であることを不当な目的で知ろうとするものである」ことを看破することなどは期待できないのである。
5 原判決は、今後は続柄記載のある改製前の住民票の写しが交付されえないと判断しているが、それは「第三者による」交付請求についてしか判断していない。後述のとおり、それ以外の請求の実態を見落とし判断しているという欠陥がある。
しかし、ここではまず、原判決の判断する「改製前」の「第三者による」請求に限ってみても、4で述べた安易な交付の実態は改製後の住民票と同じであったことを指摘する。たとえば、「裁判のため」等の理由が記載されていれば、続柄も記載された住民票の写しが交付された。その交付請求の理由が真実であるか否かの証明は要求されてこなかった。不当な目的で入手しようとする者が、不当な目的を明記して申請するはずがなく、それらしき理由が記載されれば入手できるため、法一一条、一二条はザル法といわれた。
確かに良心的な行政官により、厳格な運用がなされている例もある。しかし、そういった例もあるというだけであり、全国レベルでみれば、続柄記載のある住民票写しは第三者も容易に入手できるというのが、実態であった。
6 高等裁判所の判決において、人権尊重の観点からはすぐれた法文の解釈が行われたとしても、それが直ちに従来の実務を変えるものではないことは、民法九〇〇条四号但書の婚外子の相続分に関する判決の例で経験したばかりである。
一九九三年六月二三日に、東京高等裁判所は、民法九〇〇条四号但書の婚外子の相続分を婚内子の半分とする規定を憲法一四条違反であるとの決定(判例時報一四六五号五五頁)を下したが、その後も、各地の裁判所あるいは遺産分割の実務では、この解釈はすぐには浸透していかなかった。東京家庭裁判所においても、当事者が相続分平等を主張しても、裁判所は従来の民法どおりの扱いですすめようとしたことは公知の事実である。
一九九四年一一月三〇日には、やはり東京高等裁判所で違憲判決(判例時報一五一二号三頁)が下されたが、その後も、家庭裁判所では、高等裁判所の違憲解釈を排斥する形で遺産分割の実務を行なっていた。
このように、憲法違反という最も重大な法規違反が示された場合においてすら、一つの判決の示した解釈によって、急に実務を変えうるものではないことは、経験則上明らかである。したがって、原判決が厳格な解釈をしめしたことをもって、今後は不当な目的による入手を遮断しうるから訴えの利益がないとすることも困難である。
7 さらにいえば、法一二条四項の条文の体裁は、「不当な目的によることが明らかなときは、これを拒むことができる」であり、原判決のいう「正当な目的であることが明らかにされない限り拒むことができる」ではない。
4で述べた原判決の解釈は、人権尊重の観点からは好ましいものではあるものの、法の明文から離れた解釈であり無理があるのである。明文から離れた無理な解釈では、やはり、一裁判所の判決だけでは、実務に浸透させることは容易ではない。
原判決は、一方で、「通達にしたがっていれば過失はない」と、被上告人を安易に免責した。9で述べる通り、右記の点に関して改正通達に伴い発せられた運用通達によれば、「正当な目的であることが明らかにされない限り拒むことができる」とはされていない。運用通達では、「合理的な制限をすることができる」というゆるやかなものにすぎない。原判決の過失の基準をもってすれば、原判決の解釈にしたがわなくても、運用通達のレベルに反していない限り過失は問われないということになろう。被上告人が、今後、原判決のしめした解釈にしたがって実務を行うか否かは、未知数である。
8 さらに、原判決がみのがしている重大な点は、原判決の解釈は「拒否することができる」であり、法一二条四項の法文も「拒むことができる」にすぎないということである。すなわち、「拒まなければならない」として、拒むことを市町村長に義務づけているわけではない。したがって、不当な目的によることが明らかな場合に拒否しなかったからといって、直ちに同条違背になるわけではない。「明らかか否か」というのも事実認定の難しい問題であり、ますます、拒否しなかった自治体の責任は問われにくい構造になっている。同条は、プライバシーを保護するには、もともときわめて不十分か規定なのである。
したがって、この点からみても、「不当な目的」による入手を今後も完全に遮断しえないといわざるをえない。
9 今回の通達の一部改正にともない、その運用につき通達が出されている。口頭弁論終結後に提出した一九九四年一二月一五日自治振二三三号によれば、その4で「改製前の住民票の交付請求があった場合については、プライバシーの保護を図る観点から、市町村長の判断により、当該改製前の住民票の写しの交付について、合理的な制限をすることができるものとする。」としている。
この「合理的な制限」の意味につき、神奈川県が自治省に対し照会し、自治省から回答(口頭弁論終結後提出の一九九五年一月一〇日付神奈川県企画部市町村課から各市町村住民基本台帳主管課に対する事務連絡、質問事項2参照)が出された。これによれば、改製前の住民票の写しの交付について、「続柄欄を空白にして交付してもよい」と回答しており、やはり、「空白にしなければならない」と義務づけてはいない。
10 また、原判決の前記解釈は、不当な目的による入手について、本件住民票に記載されていない「第三者によって」交付請求がなされる場合についてしか論じておらず、法一二条二項、昭和六〇年一二月一三日自治省令二八号(住民基本台帳の閲覧及び住民票の写し等の交付に関する省令)三条による請求の場合については、全く触れていない。
自治省令二八号三条では、①本人または同一世帯に属する者、②国や地方公共団体の職員からの職務上の請求、③弁護士等の資格者からの職務上の請求、などあげており、これらの請求については、請求事由を明らかにすることを要しないとされている(法一二条二項)。
第三者による請求の他に、これらの者による請求においても、しばしば、プライバシーの侵害が生じてきたことは周知の事実である。
就職差別や、私立学校への入学時の差別は、むしろ、本人請求による住民票写しによって行われてきた。
就職先や入学先から住民票写しの提出を本人が求められるのである。戸籍についてであるが、資格者による不正入手事件の発覚も少なくない。改製前住民票については、こういった入手が減るとしても、行政内部からの情報の漏洩の危険性は今後も減るわけではない。
たとえば、小学校入学の際の学籍簿は住民票をもとに作成されるが、一九九三年には、田無市において、住民票の続柄欄も含めた小学校新入学児童の一覧表が、学校からPTA役員に渡されるという事件がおきている(甲第一八五号証)。自治省令二八号三条の国や自治体の職員からの当初の入手は正当な目的によるものであっても、その後、公務員によって不当に情報が開示されうるということである。
この点につき、原判決が一切ふれず、前記の第三者からの請求についての一二条四項に関する解釈だけで、住民票の続柄記載について、写しの不当な目的による入手が遮断されるかのように結論づけているのは、誤りである。
11 さらに、法一二条二項、省令二八号三条による請求の場合に、住民票の写しの入手自体は、正当な目的による場合であっても、続柄記載までは、その目的に必要ではないのにあわせて写しに記載され、婚内子であるか否かが、不当に第三者に知らされてしまうことはよくあることである。例えば、裁判の当事者あるいはその同居人が婚外子であることが、住民票写しが裁判記録に綴じられるため、第三者の目にふれるような場合である。一二条二項による請求の場合には、住民票の写の交付請求の請求理由自体が正当であれば、続柄についても記載の要求があれば、特になぜ続柄の記載まで必要かという吟味なく、続柄表記のある住民票が交付されるからである。
12 この点につき、例えば、横浜市では、省令二八号三条に掲げる場合は、今回の一部改正の趣旨に基づき、原則として続柄の表示を省略していることを説明し、請求者の理解を得るよう努めることとし(口頭弁論終結後提出の横浜市局長の各区長宛通知、市事二五九号平成七年二月二二日)たものの、請求者の理解が得られない場合は、法令上交付を拒否する根拠がないことから、特別の請求に応じることもやむをえないとしている(口頭弁論終結後提出の横浜市民局事業課長から各区戸籍課長宛通知、市事二六四号平成七年二月二四日)。
つまり、本人や、有資格者からの請求については、改製前の住民票につき続柄の記載を省略しないで写しを交付することもやむなしとの立場をとっているのである。
この点に関し、被上告人が、今後どのような対応をとるかは、未知数である
省令二八号三条による請求の場合には、続柄欄を空白にしなければならない法令上の根拠がないのである。この場合にまで、原判決が法一二条四号についてしめした「目的が正当であることが明らかにされない限り拒否できる」との解釈をあてはめることは、法一二条二項の明文に反し、困難である。
したがって、法一二条二号、省令二八号三条の場合についてあえて全くふれずに、改製前の続柄記載のある住民票の不当な目的による入手が今後ありえないかのように論じ、訴えの利益がないとした原判決には、法令の適用の誤りがあるといわなければならない。
13 一九九四年に、埼玉県志木市の全市民約六万四〇〇〇人分の住民基本台帳の写しが東京都内の名簿業者の手に渡っていたという事件が発生した(一九九五年一月一三日朝日新聞他)。
住民票以外についても、一九九三年から一九九四年にかけて二度にわたり、江戸川区で、約九万人の住民の病歴まで記載された定期健康診断データが名簿屋に流出したという事件(一九九四年一二月八日朝日新聞他)や、一九九四年に新潟県上川村で、約三〇〇〇人分の選挙人名簿の写しが村商工会に持ち出され商工会青年部が電話帳作成に利用していたという事件(一九九五年一月一四日付朝日新聞)など、行政側も関与するプライバシー情報漏洩事件があいついでいる。
こういった現実からみても、情報管理の面のみに留意すれば、プライバシー権は守ることができるとする論理が誤りであることがわかる。原判決は、続柄情報は廃棄されていなくても、開示制限をきびしく行えばプライバシーを守りうるとのレベルで判断している。
しかし、国際的にみても、OECDの勧告を含めて、現在のプライバシーの考え方は、情報の収集、蓄積、保管のすべてについて、差別をさけるために、収集目的にとって必要不可欠な最小限の情報しか収集を認めないとする考え方がとられている。
原判決には、こうしたプライバシー権に対する厳格な配慮がない。このため、表層的に、法一二条四号の交付制限について厳格に解釈するのみで、今後は不当な入手がおきえずプライバシーの侵害がありえないと結論づける誤りをおかしているのである。原判決の理論では、志木市でおきた住民票写しの流出事件のようなケースは断ち切ることができない。
そもそも差別記載が存在しなければ、どんなに悪用をこころみようとする者がいても悪用はおきえないのである。改製前住民票の中の子についての続柄記載がすべて抹消されるか、改製前住民票が廃棄されるまでは、訴えの利益があるというべきである。
第二 国賠法上の故意・過失について
一 原判決は、被上告人市長が一九八五年八月二九日にした、本件住民票における婚内子と区別した続柄の記載は、住民基本台帳制度の目的との関連で合理性、必要性がなく、上告人らのプライバシーを侵害し、かつ、上告人一郎をその社会的身分である婚外子であることを理由として、憲法一四条の禁止する不合理な差別をしたものであって、違法である、と認定した。しかし他方で、原判決は、被上告人市長は一九九四年一二月に改正される前の「事務処理要領」に従って本件住民票の続柄記載の職務執行をし、かつその当時は本件住民票のような続柄記載の方法が各市町村における一般的実情であったことを理由に、被上告人市長に国賠法上の故意、過失がなかった、として、上告人らの国賠法一条一項に基づく損害賠償請求を棄却した。原判決の国賠法に関するこのような判断は、法の解釈を誤ると同時に、事実認定についても著しい誤りを犯したものであり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背(民訴法三九四条)が存在する。
二 国賠法一条一項における「違法性」と「故意・過失」
国賠法一条一項は「国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」と規定する。ここにいう「違法」とは、厳密な意味における法令違反のみではなく、人権の尊重・権利の濫用・信義誠実・公序良俗違反などを含む概念であると解されている(古崎・国賠法一五二頁、雄川・行訴法講座三巻一三頁等)。原判決は本件住民票の続柄記載がプライバシー権、平等権という憲法上の基本的人権を侵害すると認定したのであるから、被上告人市長の行為が国賠法上「違法」の評価を受けたことは当然と言わなければならない。
伝統的な学説は、客観的要件として公権力の行使の「違法性」、主観的要件として公務員の「故意・過失」が国賠法一条一項の要素である、と捉えてきた。しかし近時の不法行為理論はこのような二元的な考察に批判を加えており、「違法性と故意・過失、特に過失との峻別が可能なのか、必要なのかという違法性論あるいは過失論の本質に遡った疑問が呈されている状況にあ」る(滝澤孝臣「立証―違法性の認定」裁判実務大系18「国家賠償訴訟法」一三二頁以下)。すなわち、不法行為法の領域では、現在「違法性一元論」(故意・過失は違法性の判断要素であるとする立場)あるいは「違法性不要論」(違法性は故意・過失の判断要素であるとする立場)が支配的である。有力な学説は「違法性が認められれば故意過失を推定すべきである」(河上元康「国家賠償法における公務員の故意過失」司研二〇周年記念編集第一巻民事編Ⅰ二二九頁)、と主張している。近年の不法行為学説は、故意・過失および違法性は「受忍限度」という新たな基準によって一元的に処理すべきであると主張するに至っており、「違法か過失かのいずれか一方を立証すれば、自然に他方が導き出されてくる」とさえ言われている(村重慶一「国家賠償法」実務民訴一〇巻三〇六―三〇八頁参照)。立証責任の分配においても、多くの学説は、国民に被害が生じた場合、公務員に過失があったことを推定する「一応の推定の理論」を支持している(信濃孝一「立証―故意過失の認定」前掲「実務大系」一四九頁)。
したがって原判決の採るような「違法ではあるが故意・過失がない」という立場は、事実認定以前の問題として、国賠法の母法である不法行為法上、特異な考え方である。仮に原判決のように「違法ではあるが故意・過失がない」という判断を導くためには、違法性と故意・過失の二元論に立った上で、前者と後者が独立して認定され得る特別の事情について、まず被上告人側の主張・立証がなされなければならなかったはずである。その上で、判決には具体的かつ詳細な理由付がなされなければならないが、原判決はそれを怠っている。
原判決が公務員の「故意・過失を否定する理由として挙げるのは、《一》被上告人市長が「事務処理要領」に従った事務処理を行ってきたこと、及び《二》他の市町村においても本件住民票と同様の続柄記載がなされていたこと、の二点であるが、以下に述べるとおりこれらは被上告人市長の過失を否定する根拠とはなり得ない。
三 国賠法一条一項の「故意・過失」の判断基準
公務員は憲法を尊重し、擁護する義務を負う(憲法九九条)。ここに「尊重」とは、憲法を遵守することをいい、「擁護」とは、憲法違反に対して積極的に抵抗し、憲法の実施を確保するため努力することをいう(宮澤俊義・芦部信喜「全訂日本国憲法」八二〇頁)。憲法のこの規定に基づいて、公務員は任用に際して服務の宣誓を求められているのである(国公法九八条、地公法三一条等)。
さらに進んで、公務員は日本政府の批准した国際条約についても、これを尊重し擁護する義務を負っている(憲法九八条二項)。日本政府は憲法の基本原理である国際協調主義、基本的人権の尊重の原理に基づいて国際的な人権諸条約を批准している。それは人権の普遍性を認め、人権の判断基準についても自国の専権事項であることを譲歩・制限したのであり、国・公共団体の職務執行にあたる公務員にも当然に条約の遵守義務は課されている。国賠法の解釈上、公務員に課される注意義務は、公務員個人の知識・能力によって決まるのではなく、その地位の公務員に客観的に要求される注意義務であり(前掲信濃・一四七頁)、さらにその義務は一般市民のそれより高度の注意義務が課されている(前掲村重・三〇六頁)とされている。その趣旨は、右に述べたような公務員の憲法・条約遵守義務にあると言うことができるのであるから、当該公務員がたまたま憲法や条約の内容に熟知していなかった、という抗弁は国賠法の解釈上、成り立ち得ない。
一般に、公務員(行政庁)が法解釈ないし法的価値判断を誤って行為した場合の過失の有無については、
(一) 確立した判例・学説が存在するにもかかわらず、それを無視した処分を行えば過失が認められ、
(二) 確立した判例が存在しないか不統一であり、解釈や実務の取扱いが分れている場合には、そのうち一つの見解を選択したことについて過失があれば、当該公務員の過失が認められるべきである(前掲信濃・一五八頁、伊藤螢子「国家賠償責任の要件としての、行為の違法性と行為者の故意過失及び両者の関係について」訟務月報一九巻八号一八〇頁参照)。
原判決は被上告人市長が一九八五年八月当時(以下「本件当時」という。)、事務処理要領に従って住民票の記載を行ったことをもって過失を否定する理由としている。しかし本件当時、婚外子の住民票の続柄記載には確立した判例は存在せず、解釈や実務の取扱いは分れていたのである。事務処理要領は全国の住民票記載の統一を意図して作成されたものであるから、これが存在したこと自体、この問題について異なる立場があったことを示している。しかも現実に異なる立場による実務が行われていたのである。あえて婚外子を差別する記載方法を選択したことにおいて、被上告人市長には重大な過失が認められる。このことは次のような証拠により認定することができる。
1 全国連合戸籍事務協議会(以下「全連」という。)は、戸籍及びこれに関連する事務の研究及び改善進歩を図ることを目的として一九四七年に設立された団体であるが、一九七三年以来、一九八五年までの間に実に六回にわたって年次総会で「非嫡出子の続柄を長男・長女などと記載されたし」等の「要望決議」を審議し、うち五回は決議が採択されている(甲第一七五号証)。
全連は任意団体であるものの、設立当初から法務省民事局と緊密な連携を保っており、総会には法務大臣が出席し(甲第二号証、佐藤文明証言調書四一項)、事務所は会長の所属する市区町村に置かれ(全連会則第三条)、機関誌「戸籍」の編集委員の多くは法務省民事局付検事で占められている。
全連はその目的が「戸籍及びこれに関連する事務の研究」のみならず、その「改善進歩」を図ることにあったので、当然のことながら、憲法の理念に基づく戸籍、住民票その他の関連事務について検討を続け、その結果が右の年次総会決議に体現している。これらの決議の内容や審議の経過は機関誌「戸籍」によって広く公開され、(甲第一五、第二一、第一五八、第一五九号証)、この雑誌は創刊以来、戸籍・住民票業務の担当者にとって必読文献の一つとなっている。事実、「戸籍」は現場の戸籍事務担当職員の間で広く読まれていたのであるから、被上告人らは本件当時、住民票の婚外子の続柄記載をめぐって現場の戸籍担当職員の間でこのような活発な議論があることを容易に知る立場にあった。
2 原判決も認めるとおり、事務処理要領は市町村長を拘束する法的効力を持たない(原判決三二丁)。本件当時、現に右要領に従わず、婚外子の続柄の表記を婚内子と差別することなく行っていた自治体も存在した(甲第一ないし第四号証)。
一九六七年の住民基本台帳法の制定によって、旧・住民登録法は廃止され、旧法に関して出されていた先例、通達も基本的には廃止されたと考えられている(甲第六号証XI頁)。住民票の作製に関しては、事務処理要領以外にも自治省から個々に出される通達が存在し、多くの通達の集積が行政指導の役割を果たしている。しかしこれらの通達もまた、地方自治体の固有事務という性質上、拘束性がない。
3 佐藤文明は一九六九年から三年間、新宿区役所で戸籍・住民票の事務処理に携わってきたが、すでに当時から婚外子の続柄記載については住民や職員の間で次のような疑問の声が上がっていたことを具体的に証言している(以下、()内は同人の証言調書の頁数を示す。)
[一] 佐藤の在職中、戸籍や住民票の続柄記載が差別的だと言って住民から抗議されたことが五、六回あった(一〇項)。
[二] 婚外子の続柄記載は事務処理要領に必ず従わなければならない、と考えていない自治体がたくさん存在した(一七項)。
[三] 住民課の職員も事務処理要領を拘束的なものとは考えていなかった(一八項)。
[四] 婚外子であっても、現場の職員が住民の要望を汲んで「長男」「長女」と住民票に記載した例は二三区それぞれで存在した(二六・二七項)。そのような実務の扱いが存在する、ということは、当時の職員の間では常識であった(二八項)。
[五] 一九八三年ころ、結婚相手の住民票を取って「続柄がおかしいので調べたい」と役所の窓口に来る住民に対し、役所が「お互いに戸籍を交換したらどうか」と指示をした事件があり、戸籍住基労働者交流会が抗議をし、区側が謝罪をしたことがあった(五〇項)。
さらに佐藤文明は甲第七七号証の陳述書を提出しているが、右の陳述書は一九八五年六月に、同人が岐阜県各務原市において婚外子差別撤廃のための再審査請求に係わる口頭意見陳述として準備したものである。そこでは「昭和四二年通達(事務処理要領)とは別に、人権を重視し、差別を生まない方式をとるべきである」(甲第七七号証五項目)ということが強調されているが、右1、に述べたように全連が度重なる決議をあげていたことからすれば、これは当然の要求であり、かつ実現が可能であった。
4 佐藤文明以外にも、各地で婚外子の住民票の続柄記載に異議を申立て、抗議する行動が、本件以前から全国に存在した。A及びBは一九八三年二月、連名で杉並区民部戸籍課に宛てて「住民票の記載事項“続柄”の問題点について」と題する書面を提出し(甲第二号証)、「Cが続柄欄において“子”と表記されていること」に異議を申し立て、その変更を求めている。
5 Dは本件とほぼ時期を同じくする一九八五年一一月、目黒区内で婚外子を出産したが、区役所の窓口の職員のはからいで「長男」という続柄記載のある健康保険証を受け取ることができたことを報告している(甲第六四号証)。
また根本研司は茨城県鉾田町役場で健康保険証の続柄記載から婚外子差別をなくすための職員の取り組みがあったことを紹介し、そのうちの一人の本沢雅之は一九七〇年頃よりこのような事務処理を行っていた、と述べている(甲第六八号証)。
このD、根本の報告例は健康保険証についてであるが、住民票の記載についても同様の努力が各地の自治体職員の間でなされていたことが推測できる。
6 本件当時、住民票の続柄記載をめぐっては、自治体の職員のみでなく、民法・戸籍法の研究者の間でもその差別性・違法性をめぐって関心を持たれ、議論がなされていた。星野澄子(神奈川大学短期大学部教授)は「地方自治通信」(一九八四年七月五日発行)において自治体職員との座談会を持ち、自治省の指導する続柄記載を批判する発言を抽き出している(甲第八三号証四五頁)。同人は右座談会の席上、行政の窓口が婚外子等の続柄記載について「いろいろな申出がなされてどういうふうに対応したらいいだろうと悩んでいる」という話が出たことを証言している(星野澄子証言調書五七項)。
7 上告人甲野花子は、自らが被上告国人市市民課において一九七三年から休職期間を除いて約六年間、住民票作製業務に関わってきたが、婚外子の続柄への差別記載については、一九七三年二月頃から違和感を持ち、「非嫡出子に対する物凄い軽視」である、という認識を抱いていた(甲野花子本人調書一五―一七項)。
8 甲第五、第六号証は一九七七年六月に発行された東京都市町村戸籍住民基本台帳事務協議会が発行した「住民記録の実務」という書籍の一部であるが、同書には次のような記載がある。「討論の中では、現行の法令・自治省通知についていくつもの疑問や意見がだされました。例えば、続柄の記録において、何故嫡出子と非嫡出子を区別する必要があるのか。住民票の中で一方を『長男』と書き、他方を『子』と書くやり方は誰に対しても利益をもたらさず、むしろ本人やその親に大きな苦痛を強いるだけではないのだろうか。『居住の公証』という住民票の性格とは無関係なことではないのだろうか。こうした疑問や意見は、他にも数多く私たちの討論の中ででてきました。」
右の記載から、右書の書かれた当時、すでに婚外子についての差別記載に多くの自治体職員が疑問をもっていたことが明らかである。
9 国際社会においても、婚外子や非婚の母に対しては差別撤廃のためのさまざまな取り組みがなされてきた。その主なものは次のとおりである。
(1) 国連・経済社会理事会勧告
国際連合の経済社会理事会は、一九七二年、相続に関する一切の事柄において、非婚の母の子孫に対して差別があるべきではなく、非婚の母は、その他の母たちのため、特に独身の親たちのため講じられるすべての社会的支援、社会保障の手だてを享有すべきであることなどを内容とする「非婚の母と子に関する勧告」を加盟国に対して行った(甲第一〇号証)。
(2) 女性差別撤廃条約(一九八一年九月三日発効。日本について、一九八五年七月二五日発効)。
女性差別撤廃条約第一六条一項(d)は、「男女の平等を基礎として」、「子に関する事項についての親(婚姻をしているかいないかを問わない)としての同一の権利及び責任を有する旨を規定し、さらに「あらゆる場合において、子の利益は至上である。」と規定している。
(3) 市民的及び政治的権利に関する国際人権規約(一九七六年三月二三日発効。日本について、一九七九年九月二一日発効)。
国際人権規約B規約第二四条は、子どもの権利を規定し、「すべての児童は」「出生によるいかなる差別もなしに、未成年者としての地位に必要とされる保護の措置であって家族、社会及び国による措置についての権利を有する」とする。
なお一九八八年四月五日に採択された規約人権委員会の「一般的意見」(ジェネラルコメント)では「相続の場合を含めて、すべての分野におけるすべての差別を取り除く目的で、特に、その国の国籍のある子どもと、外国籍の子どもとの差別、また嫡出子と非嫡出子との差別をも除去する目的で、各国が子どもたちに対する保護措置を、いかに法律上及び実務上保障しているかということを、各国はその報告書に記入すべきである。」としている(甲第一九四号証)。
同規約第二六条は「すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。このため、法律はあらゆる差別を禁止し及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等のかつ効果的な保護をすべての者に保障する」と規定する。ここにおいて婚外子に対する差別が本条に反するものであることは明らかである。
同様に、同規約第一七条は「1、何人も、その私生活、家族、住居若しくは通信に対して恣意的に若しくは不法に干渉され又は名誉及び信用を不法に攻撃されない」「2、すべての者は、1、の干渉又は攻撃に対する法律の保護を受ける権利を有する」と規定する。住民票における婚外子の差別的記載は本条に違反するものであることは明らかである。
右(1)乃至(9)に述べたような状況の下において、地方自治体の固有事務の執行として住民票の続柄記載を行った被上告人市長は、本件住民票のような婚外子に対する差別的記載をすれば、上告人らのプライバシー権、上告人一郎の平等権を侵害することを容易に予見できたのである(結果予見義務の存在)。かつ被上告人市長は、その指揮命令下にある戸籍担当職員に対して、他の自治体で行われているような差別のない続柄記載を行わせることによって、上告人らの権利が侵害されることを回避できたにもかかわらず(結果回避義務の存在)、それをしないで漫然と事務処理要領に従った。ここではとりわけ住民基本台帳実務が地方自治体の固有事務であることに留意がなされるべきである。事務処理要領は、機関委任事務に関する法的文書ではないので、自治体の長を何ら拘束するものではない。右通達は第一審判決も指摘するとおり、実務の全国的統一という便宜のために発せられ、それ以上のものではない。しかも住民基本台帳法はどの法文を読んでも「実務の全国的統一」などを要求してはいないのである。
いやしくも公務員は、行政上の便宜よりは人権の尊重という利益を優先しなければならない。各地方自治体及びその長は、国の通達に漫然と従うことは人権を侵害するおそれがあることを自覚し、固有事務の処理方法については各自治体の自主的な判断を十分に吟味した上で、行政を行うべきである。
原判決の立場は、国の通達に従って事務処理をしていれば公務員は過失を問われない、というものであるが、このような立場は、通達の効力を憲法や条約、法律よりも上位に置いている点で誤っているのみならず、健全な地方自治の実現を阻むものである、と言わなければならない。
次に、原判決は本件当時、本件住民票におけるような住民票の続柄記載が他の市町村でも一般的実情であったことを、被上告人市長に過失がなかったことの理由にしているので、これに対して反論する。
原判決は右の部分に続いて、「その後(中略)、プライバシーの保護の見地から行われた法の改正(一九八六年六月施行)、健康保険等の被保険者証等における続柄記載の統一(一九九一年二月)、全国の住民基本台帳実務担当者の協議会における続柄記載の統一要望の採択(一九九三年一〇月)等の国内の動向や国際人権規約委員会による日本政府宛の婚外子に対する差別的な法規定や実務慣行が、国際人権B規約一七条(私生活、名誉及び信用の保護)、二四条(児童の権利)に違反するなどとするコメントの採択(同年一一月、甲一九四)などの国外における動向が見られ、非嫡出子の人権などをめぐって状況の変化があった。したがって、現時点において本件住民票のような続柄記載がなされたとすれば、それについては、違法であることはもちろんであるが、それのみではなく、故意・過失があると判断されることになり得るとしても、そのことは、右判示を左右するものではない。」と述べている。
原判決は意図的に、「本件住民票のような続柄記載はいつの時点から違法とされたのか」「いつの時点から故意・過失があるとされるのか」についての判断を回避している。しかし原判決は、婚外子の差別を禁じた国際人権規約は本件当時、日本国内で既に発効しており、その効力は即時性を持っていたことを見落としている点において決定的な誤りを犯している。すなわち国際人権規約B規約は一九七九年九月二一日に日本国内において法的効力を持つに至り、漸進的適用が認められているA規約と異なり、即時に適用されるべきものである、というのが通説である(甲第一三五〇号証(宮崎繁樹論文)三〇頁)。なお甲第一三七〇号証(伊藤正己論文)九頁は、「(国際人権規約)、特に即時の実施を求めるB規約は、その実施のために国内法の制定が必要であるとか、またそれが条約であって国内法のような厳密な法解釈になじまず、宣言的要素が濃い、などという理由で、その法的拘束力を否認したり、ゆるめたりすることは、日本のようなかなり厳格な法解釈を構成するところでは望むことができない」と述べている。原判決はあたかも規約人権委員会によるコメントが採択(甲第一九四号証)されたために、婚外子差別が違法とされ、かつそのような差別をした者に故意・過失が生ずるかのごとき判断をしているが、日本政府が違法な差別を改めないからこそコメントが採択されたのである。委員会コメントはあくまでも確立された条約の解釈に基づいており、コメントが発せられることによって今まで合法であったものが違法とされるのではない。
人権を保障した規定の効力の即時性は、国際条約のみならず、憲法、国内法の効力発生においても適用されている。たとえば、男子六二歳、女子五七歳の差別定年制を解消するために、男女の定年を六〇歳とするが、女子は三年、男子は一三年をかけて徐々に格差を解消する、という経過措置の合理性が争われた事件で、裁判所はこのような段階的解消は合理性を欠き無効であると判断した(広島高判一九八七年六月一五日。判時一二三六号五二頁)。これは人権保障規定の効力の即効性を確認した判決である。
さらに原判決のいう他の市町村における「一般的実情」が仮に婚外子への差別を認容するものであったとしても、それは差別を合理化する理由とはならない。原判決の右のような理屈は、裁判所の役割(議会制民主主義が多数者の利益を実現する一方で、少数者の基本的人権を擁護する)を否定するのに等しいものである。
女性に対して差別的な賃金規程の「社会的許容性」が争点となった岩手銀行事件において、仙台高裁は次のような判断を示した(仙台高判一九九二年一月一〇日。判タ七七七号八七頁)。「社会通念、社会的許容性とか公序良俗という概念は、もともと不確定概念で、宗教、民族の違いなどのほか、国内でも時(代)と地域(都市、地方など)により認識や理解に相違のあることは否定できない。しかしながら、これら概念は不確定なるが故に発展的動態において捉えねばならない。そうでないと、旧態は旧態のままで社会の進歩発展は望み得ないことになるからである(中略)。そして、たとえ控訴人銀行の本店のある盛岡市をはじめ東北地方の平均的住民の観念が、本件賃金規程またはその趣旨を、その制定当時、さらにはその以前から現在に至るも、当り前のこととして容認し、これに依拠した取扱いを許容しているとしても、憲法一四条一項(法の下の平等)は、性別により政治的、経済的、または社会的関係において差別されない旨定め、男女不二たるべく、男女平等の理念を示している。労基法四条男女同一労働賃金の原則は右憲法の理念に基づく具体的規律規定である。そして、それは理念ではあっても達成可能な理念であるから、この理念達成という趣旨にもとるような観念は『社会通念』『社会的許容性』『公の秩序善良なる風俗』として、前記規定条項及びこれによる取扱いの法的評価の基準をすることはできないものといわなければならない。」判決は右に続けて、従ってこれまでに賃金規程について労使間で異議がはさまれなかったり、労基署から違法の指摘を受けて来なかったとしても、女性を差別する取扱いを「社会通念」や「社会的許容性」の範囲内であることを理由に「公序良俗に反しない」などという訳にはいかない、と結論づけている。
本件においても裁判所が果たすべき役割は、「一般的実情」という名の下に、旧態を旧態のままで温存することではない。社会の進歩発展へ向けた法的判断なのである。
とりわけ本件で問われているのは「プライバシー権」「平等権」という、奪い得ない人間固有の権利であり、これらが「一般的実情」によって左右されることがあってはならない。仮に「一般的実情」に惑わされて他人のプライバシー権や平等権を違法に侵害した者がいたとしたら、その行為には制裁を課し、被害者には蒙った賠償を回復させることが、「損害の公平な分担」という不法行為制度(国家賠償制度)の本来の目的にかなうものである。
第三 条約違背
一 条約違反の主張についての判断遺脱
1 上告人らは、原審において、左記の通り、本件続柄記載処分が、各条約に違背することを主張した。
(1) 国際人権規約B規約二四条一項及び二六条の「出生差別禁止」並びに同一七条一項の「私生活、家族に対する恣意的又は不当な干渉の禁止」(プライバシー権)に違背する
(2) 子どもの権利条約二条一、二項に違背する。
(3) 女性差別撤廃条約一六条一項dに違背する。
しかし、原判決は、「当事者の主張」としては、右の各主張を挙げておきながら、これらの主張に関しては、全く判断を示さなかった。
右の各条約に違背するか否かは、被上告人武蔵野市長の過失の存否の認定に影響を及ぼすべき重要な事項である。なぜならば、各条約は、憲法よりも具体的、明確な文言をもって、婚外子の差別の禁止やプライバシー権の侵害を禁止しており、かつ、各条約の成立時期や条約のもととされる宣言の成立時期は、過失の認定時期である一九八五年八月よりはるかに以前だからである。
すなわち、国際人権規約B規約は、成立が一九六六年一二月、日本の批准が一九七九年八月であり、子どもの人権条約は、成立は一九八九年であるが、そのもとになった児童の権利に関する宣言はすでに一九五九年に成立しておりその前文で出生差別を禁じており、女性差別撤廃条約は、成立が一九七九年、日本の批准が一九八五年七月であり、これらの憲法解釈を補うべき人権規約等が存在していたことは、被上告人において憲法違背の予見可能性があったことを根拠づけるからである。
したがって、これらの主張に関して判断の遺脱があったことは、民事訴訟法三九五条六号の理由不備に該当し、上告理由があるというべきである。
2 条約の国内的効力
条約が国内法に及ぼす影響としては、「条約の国内的効力」の問題と「条約の直接適用可能性」の問題が分けて考えられる。前者は条約が国内法に受容されて国内で法として妥当するか否かの問題であるのに対し、後者は条約が国内で直接、裁判規範として援用できるか否かの問題である。したがって憲法上条約に国内的効力があったとしても、すべての条約に国内適用可能性があるというわけではない。
まず、前者についてであるが、日本国が批准した条約は特別の立法の必要なしに国内で法としての効力を有する、というのがわが国の判例及び通説である(東京高決昭和二八年二月二八日民集八巻八五八、八六〇―八六一頁。神戸地判昭和三六年五月三〇日下刑集三巻五一九、五二四頁。岩沢雄司「条約の国内適用可能性」二八―三一頁に引用された各学説を参照)。日本政府は一貫して条約は国内的効力を有するものとして実務上取り扱っており、条約を公布するのみで何の措置もとらないことも少なくない。条約が国内的効力をもつという解釈は、国会答弁においてもたびたび確認されている(岩沢前掲三〇頁)。
3 条約の直接適用可能性とその要件
わが国の裁判所は、条約が国内的効力をもつことを確認すると、直ちに、直接適用可能性を検討することなしに、条約を適用することが多い(岩沢前掲三三頁に整理されている判例参照)。しかし、この二つの概念を分け、個別の条約の個別の条文毎に直接適用可能性を検討していくのが現在の通説である(岩沢前掲二九六、三四〇頁、薬師寺公夫「国際人権規約の国内法上の効力と問題点」近弁連会報第四八号二七頁、横田洋三「子どもの権利条約の国内実施」自由と正義四二巻三号等)。
そして、直接適用が認められるための要件については、以下のような学説がある。
すなわち、その内容が明確かつ具体的であって、国家自身に裁量の余地を与えるものではないこと、さらに国内的適用について、国家の法制上の制約がないことが必要であるとする説(田畑茂三郎「国際法新講上」五七頁)、①条約の規程自体が個人に対して直接に権利義務を付与する形式で定められていること、及び②その条約の締約国となる国家の側で、特別にそのための国内法を制定する(つまり国内法への変型の)必要なく、直接に個人に権利・義務が付されたものとして当該条約を国内法体制の中に受容する体制が備わっていることを必要とする説(宮崎繁樹「国際人権規約と国内法」法学セミナー四〇六号二八頁、甲第一三五号証)、明確性、個人の権利・義務を創設していることを必要とする説(岩沢前掲二九一、三一〇)などがある。
岩沢雄司教授は、さらに、個人の権利・義務を創設するわけではないが、直接適用されうる条約も存在すること(岩沢前掲二九〇頁)、かつては、「当事国がそう意図したこと」をも要件とする考え方が国際的にもみられたが現在でははっきり否定されていること(同二九九頁)、条約が個人の国家に対する請求の根拠とされるには高度の明確性が必要とされることが多いが、条約が国家の行為を違法と認定する根拠とされるためには、前者ほど厳格ではなく、違法性が認定されるのに十分な明確性があればよいということ(同三三一頁)等の点も指摘されている。
いずれの説も、説くところはほぼ共通しており、少なくとも、①受容体制のあること、②内容の明確性ないしは具体性、③個人に対して直接に権利義務を付与する形式であること、の三つの要件が満たされていれば、直接適用可能であるということに争いはない。これらの要件は、国際的に確認されてきた要件でもある(岩沢前掲書)。
したがって、上告人らが条約違反を主張する各条約が、右の三要件を具備しているかを次に検討する。
なお、要件の①の受容体制(すなわち国内的効力)については、日本の場合にこれが整っていることについては争いがないことは、2で前述したとおりである。学説が、これを直接適用の要件としてあげているのは、国内的効力の問題と直接適用可能性の問題が、混在して語られてきたからであろう。したがって、前記の要件のうち、②③について、以下各条約ごとに検討する。
4 国際人権規約B規約
(一) 国際人権規約B規約の直接適用可能性
わが国では、国際人権規約B規約は、直接適用可能であるということで学説は一致している(岩沢前掲一二九頁、宮崎前掲三〇頁)。
B規約の本文上も「この規約の締結国は、次のことを約束する。この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が……効果的な救済措置を受けることを確保すること」(第二条三項)と規定されており、個人がこの規約上の権利を国内裁判所で援用できないとするならば、「効果的な救済」を受ける権利の実体がなくなる。
さらに、第二条一項も条約の自動執行性の根拠とされており、「この規約の各締約国は……すべての個人に対し……この規約で認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。」との規定は、直接適用可能性を前提としていることに他ならない。
そして、このことは、日本政府も認めてきた。一九八一年の規約人権委員会では、日本政府代表は「条約は国内法よりも高い地位をしめるものと解される。このことは、裁判所により条約と抵触すると判断されたような国内法は、無効とされるか、改正されなければならないことを意味する。一個人が、政府に対して政府が条約を侵犯していることを理由に訴訟を起こした場合には、裁判所は通常、その個人の主張に関係のある国内法を見つけ、これに基づいて判決を出す。稀に国内法がないという場合には、裁判所は直接その条約を援用し、その条約の規定に基づいて判決を出す。」(CCPR/C/SR、三二四、二〜三頁、二宮前掲意見書五頁に二宮訳。甲第一四〇号証の八六頁は抜粋なので原文の文献が表示された頁がとんでいる)と答弁した。一九八八年の規約人権委員会でも、政府代表は同様の趣旨で「(規約違反について)憲法三二条も規定するように、裁判所に訴えることは確実に保障されており、すべての個人は、ことに刑事訴訟法、民事訴訟法それにこの領域に適用される他の法律の規定に従って、裁判所は(「に」の誤記と思われる)訴えることができる」(部落解放研究六六号一二八頁、この文献の一部は甲第一四一号証として提出しているが、この引用箇所については省略されている)と答えている。
また、すでに、次のような多くの判例が、消極的な形であれ、直接適用可能性を認め判断を示していると言われている(伊藤和夫「国際人権規約関係判例の報告」国際人権第二号)。
① 国家公務員に対する政治活動の制限はB規約第一八条、第一九条、第二五条に違反しないとしたもの(最判昭和五六年一〇月二二日判時一〇二〇号三頁)
② 外国人に対する外国人登録申請義務の強制はB規約二条、二六条に違反しないとしたもの(東京地判昭和五五年一二月一〇日判タ四三三号一五五頁。東京高判昭和五七年一二月六日判時一〇七六号一五〇頁)
③ 外国人に対する指紋押捺強制はB規約二条、七条、二六条に違反しないとしたもの(横浜地川崎支判平成二年一一月二九日判タ七二三号九三頁。福岡地判平成元年九月二九日判時一三三〇号一五頁等多数)
④ 外国人の再入国の制限はB規約二条、一二条四項、二六条に違反しないとするもの(東京地判平成元年四月二八日判時一三一六号六二頁等)
⑤ 外国人の強制送還はB規約九条、一三条に違反しないとするもの(大阪高判昭和六一年七月一八日判タ六二七号一一三頁)
⑥ 法廷傍聴人のメモ禁止はB規約一九条二項に違反しないとするもの(最大判平成元年三月八日判時一二九九号四一頁)
⑦ 東京都条例に基づく文書の開示請求権(知る権利)がB規約一九条二項に基づく権利ではないとしたもの(東京高判平成二年九月一三日判時一三六二号二六頁)
⑧ 被告人が外国人であることを実質的な理由として保釈請求を却下したのはB規約二条、二六条に違反するという弁護人の主張に対し、違反の主張はその前提を欠いて理由がないとしたもの(東京高判昭和五六年七月二〇日判時一〇二二号一三三頁)
⑨ 刑事訴訟法三四四条の規定は合理的でありB規約九条三項に違反しないとしたもの(大阪高判平成元年五月一七日判時一三三三号一五八頁)
⑩ 外国人に対する起訴状謄本に翻訳文を付さなくともB規約一四条三項a号、同b号に違反しないとするもの(東京高判平成三年九月一八日・判例集未登載平成三年(ラ)二八〇号)
⑪ 精神衛生法上の同意入院制度が憲法三一条、三四条、B規約四条二項・四項に反するという主張に対し、憲法及びB規約には違反しないとしたが、保護義務者としての調査、確認を尽くしていないとして市長に対する損害賠償が一部認容されたもの(東京地判平成二年一一月一九日判タ七四二号二二七頁)
⑫ 女性の再婚禁止期間を定めた民法七三三条が憲法一三条、一四条、二四条、女性差別撤廃条約前文、二条、一五条、一六条、B規約二三条に違反するという主張に対して、これらの条約が締約国に対して合理的な理由がある男女間での取扱いの相異まで禁止しているものではないとされたもの(広島地判平成三年一月二八日判時一三七五号三〇頁)。
したがって、国際人権規約B規約が直接適用可能な条約であることには争いがない。
(二) 国際人権規約B規約二四条一項の直接適用可能性
B規約二四条一項は、「すべての児童は……権利を有する」という文言を用いており、前記の要件のうち、③の個人に対して直接に権利義務を付与する形式であることの要件をみたしていることは明らかである。
また、内容的には、B規約二四条は、家族、社会、国が子どものために措置をとる場合、いかなる理由によっても差別をしてはならないことを規定しているものであり、国に権利を実現するための具体的な裁量行為を求めるものではない。差別をしてはならないという意味なのであるから、内容は一義的で明確である。子どもに対して差別をしてはならないことを、憲法一四条よりも鮮明にし、差別なしに家族、社会、国による保護措置を受ける権利を明確にした点で、憲法の理念をより具体化したものと見ることができる(二宮周平「『非嫡出子』の相続分差別撤廃へ向けて二・完」立命館法学二二五、二二六号九七二頁、甲第一五五号証の同教授の意見書)。
「出生による差別」の意義も明確である。憲法一四条一項後段については、嫡出・非嫡出の区別が、その「社会的身分」に該当するのか、「門地」に該当するのか説がわかれるが、「出生による差別」に該当することについては全く異論もなく、「出生による差別」の意義は明確である。したがって、前記の②の要件もそなえている。
以上より、B規約二四条一項については、直接適用が可能であることが結論づけられる。
(三) 国際人権規約B規約二六条
B規約二六条は、すべての者について法の下の平等を保障している。前項で述べた同規約二四条一項は、その中でも、とくに権利行使の力が弱く権利侵害をうけやすい子どもに着目して、差別を禁じたものであり、二六条は二四条一項の母体でもある。
二六条もまた、「すべての者は……権利を有する」(前段)、「……すべての者に保障する」(後段)との文言を用いており、個人に権利を付与する形式の条文である。内容についても、二四条一項同様、「出生による」「あらゆる差別」を禁じており、全く多義性はなく、明確である。したがって、前記②③の要件を備えており、直接適用が可能である。
前記の②③④⑥の判例も、二六条が直接適用が可能であることを認めている。
(四) 国際人権規約B規約一七条
B規約一七条もまた、「何人も……されない」(一項)、「すべての者は……権利を有する」との文言が用いられ、前記③の要件をそなえていることは明らかである。
本条は、プライバシーの権利を規定するものであるが、少なくとも、プライバシーの権利のうち、最も早くから権利として確立された「私生活をみだりに公開されない権利」が、この条項に含まれることは、国内的にも国際的にも異論はありえず、明確である。したがって、この条項についても、本件の住民票の続柄差別に対し、直接適用しうる要件をととのえているといえる。
6 子どもの権利に関する条約二条一、二項の直接適用可能性
子どもの権利に関する条約二条一項は、「締約国は……権利を尊重し、及び確保する」二項は、「締約国は……すべての適切な処置をとる」との文言になっており、国家を形式的受範者としており、個人に直接権利を与え義務を課する形式になってはいない。しかし、同条の趣旨及び内容から、個人に直接権利を与え義務を課していると解さざるをえない。(宮崎繁樹「子ども(児童)の権利条約の国内的効力」法律論叢六七巻一号一頁)
内容的にも、一号の「出生差別の禁止」二号の「あらゆる差別の禁止」の意味は明確で具体的であり、別の法律による詳細な規定をもたなくとも直接適用が可能である。
出生差別の禁止が、婚外子差別を含む意味であることは、この条約の長い成立過程の議論内容からも明らかである。また、異なる国際条約で同一の言葉が使用されている場合に、同一の言葉は同義に解すべきであるから、国際人権規約B規約の「出生差別」とも全く同義であるといえ、B規約の二四、二六条同様、明確な内容をもつ条文であるといえる。
したがって、直接適用が可能である(宮崎前掲、及び横田洋三「子どもの権利条約の国内実施」自由と正義四二巻二号五頁)。
7 女性差別撤廃条約一六条一項dの直接適用可能性
女性差別撤廃条約一六条一項dもまた、「締約国は……確保する」との文言が用いられており、個人に直接権利を与え義務を課する形式になってはいない。しかし、子どもの権利条約二条同様、条文の趣旨及び内容から、個人に直接権利を与え義務を課していると解さざるをえない。すなわち、本条項は、国際人権規約B規約が禁じた子どもに対する婚外子差別を、その監護者である親の側に着目して、親としての権利義務の平等を保障したものである。
また、あえて「婚姻をしているか否かを問わない」との文言が挿入されており、「出生差別禁止」よりさらに明確性を有する規定である。したがって、直接適用が可能である。
以上各条約について検討したが、いずれも直接適用可能であると結論づけることができる。これらに対する判断を欠いた原判決には、理由不備のあやまりがある。
二 条約違背
民事訴訟法三九四条は、上告の理由につき、憲法解釈の誤りその他憲法の違背、または判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背に限るとしている。しかし、条約は憲法と同等の効力をもち、そうでないとしても少なくとも他の国内法の上位にあるとみるのが通説である。憲法自身も、九八条二項で条約遵守義務をうたい、条約の重要性に対する喚起をうながしている。
とくに、第二次世界大戦の悲惨な経験を経た後は、世界は、人権保障に国家を越える関心を寄せるようになっており、戦後締結された人権条約には、その重要性にふさわしい地位があたえられなければならない。
したがって、前記の各条約については、いずれも直接適用可能であるだけではなく、民事訴訟法三九四条に準じ、条約違背を独立した上告の理由とすることができると解するべきである。
この点について、有力な学説も次のように主張している。
「裁判所が訴訟法の規定により憲法違反の主張のある場合のみに上告、特別上告、特別抗告を認め、反対解釈として憲法以外の法令違反を一括して単なる法令違背として処理することに再考をせまることができないであろうか。この解釈は文理解釈にかなうものであるが、狭きに失しないか。条約が法律に優越する形式的効力をもつことは学説上異論がなく、判例として明示したものはないようであるが、おそらく判例も承認するであろう。そうすると、条約は憲法に優位ないし同位とはいえないとしても、憲法につぐ効力をもち、国法秩序において憲法と法律の中間に位置するものである。これを他の法令と一括して処理するのが適切かどうか。そして、少なくとも国際人権規約のような世界的な効力をもつ条約は確立した国際法規でもあり、いっそう憲法に近似した効力が認められて然るべきであるとの論理が成立しないであろうか。これまでの裁判所のアプローチの方法が事件を処理するものとして便宜であるだけにその変更は容易ではないであろうが、その修正を考えてよいものと思われる。」(伊藤正巳「国際人権法と裁判所」甲第一三七号証、横田耕一「人権の国際的保障と国際人権の国内的保障」ジュリスト一〇二二号二八頁もこの見解を支持する)
裁判所は、人権条約について、憲法判断とは別に独自の判断を行うべきである。裁判所が国際人権に積極的に目をむけてそれを重視するようになれば、行政・立法機関も当然に国際人権に敬意を払うようになり(横田前掲二五頁)、人権の発展を促すことができるのである。
第四 訴訟指揮権の濫用について
原審裁判所は、判決言渡期日を二度延期したが、二度目の延期は明らかに、あえて「訴えの利益なし」との判決に変更するために延期したものである。通達の改正がいっせいに報道されたのは一九九四年一二月一六日(金)であるが、原審裁判所はこれを知るや、合議体の裁判官がそろった一二月一九日(月)には直ちに、一九九四年一二月二七日の判決言渡期日を取り消した。そして、口頭弁論終結後であるにもかかわらず、当事者に対し、二度に渡り通達に関しての釈明命令を発し、被上告人らに「訴えの利益なし」との主張をする機会をわざわざ与えた。上告人の側は釈明命令をまたずとも、通達改正後、通達文書とともに上申書を提出していたのであるから、釈明命令は、被上告人らに訴えの利益なしとの主張を促すために、発せられたことは明らかである。なお、上告人は一二月一六日の報道より以前に改正通達の文書を入手したので、ただちに裁判所に持参したが、その際には、受領すら断られたという経緯がある。そして、一九九五年三月八日に、判決言渡期日を、改正通達の実施日である一九九五年三月一日以降である同年三月二二日に、あらたに指定したものである。
このような、判決結果および内容を変更するための意図的な判決言渡期日の変更は、公平を著しく欠き、訴訟指揮権の濫用にあたる。この経過は、当事者の裁判所に対する信頼、あるいは社会的信頼をも崩壊させた。
しかも、原審裁判所からの書面による釈明命令にもとづき、上告人らが弁論終結後に意見書を提出し法的な主張を展開したにもかかわらず、その内容は、判決の中では「……旨の主張のされることも考えられるので」(判決書二六頁裏)などと仮定形で表現され、現実に主張があったとの扱いがなされておらず、当事者から見ればきわめて奇妙な体裁の判決となっている。確かに、口頭弁論は再開されなかったのであるから、法的には、弁論終結後に事実上主張しただけの扱いとされざるをえないかもしれないが、やはり、裁判所に対する当事者の信頼を著しく失わせる記述の仕方であるといわざるをえない。口頭弁論を再開し、主張として取り扱うべきであった。
以上の訴訟指揮、とくに判決結果を変更するための意図的な言渡期日の延期および指定は、著しく公平を欠き、訴訟指揮権の濫用(民事訴訟法一五二条一項、四項、一九〇条違背)にあたる。したがって、この点においても原判決は、判決に影響を及ぼすべき明白な法令適用の誤りがあるというべきである。